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奈良時代の官人。官位は正六位上・豊前守。
養老4年(720年)に起こった「隼人の反乱」にて、豊前守であった男人は隼人たちの鎮圧のために将軍に任ぜられて戦勝を祈って宇佐神宮に参拝した。戦いの結果、男人は隼人の軍勢を大いに破って数多くの兵を討ち取った。また、多くの兵を殺した償いとして大神の託宣が発せられ、毎年放生会(ほうじょうえ:生け捕りにした生き物を自然に放すことで、殺生を戒める儀式。元々は仏教儀式であったが、神道にも伝わった。)が催されるようになり、これが後に石清水八幡宮に伝わったという。
神亀5年(728年)に九州から帰京する時に太宰府の官吏らと詠んだ歌が「第6巻959番歌」となる。