万葉集 第5巻 886番歌/作者・原文・時代・歌・訳

第5巻886番歌はこちらにまとめました。

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第5巻 886番歌

第5巻
歌番号886番歌
作者作者不詳
題詞筑前國守山上憶良敬和為熊凝述其志歌六首[并序] / 大伴君熊凝者 肥後國益城郡人也 年十八歳 以天平三年六月十七日為相撲使某國司官位姓名従人 参向京都 為天不幸在路獲疾 即於安藝國佐伯郡高庭驛家身故也 臨終之時 長歎息曰 傳聞 假合之身易滅 泡沫之命難駐 所以千聖已去 百賢不留 况乎凡愚微者何能逃避 但我老親並在菴室 侍我過日 自有傷心之恨 望我違時 必致喪明之泣 哀哉我父痛哉我母 不患一身向死之途 唯悲二親在生之苦 今日長別 何世得覲 乃作歌六首而死 其歌曰
原文宇知比佐受 宮弊能保留等 多羅知斯夜 波々何手波奈例 常斯良奴 國乃意久迦袁 百重山 越弖須<疑>由伎 伊都斯可母 京師乎美武等 意母比都々 迦多良比遠礼騰 意乃何身志 伊多波斯計礼婆 玉桙乃 道乃久麻尾尓 久佐太袁利 志<婆>刀利志伎提 等許自母能 宇知<許>伊布志提 意母比都々 奈宜伎布勢良久 國尓阿良婆 父刀利美麻之 家尓阿良婆 母刀利美麻志 世間波 迦久乃尾奈良志 伊奴時母能 道尓布斯弖夜 伊能知周<疑>南 [一云 和何余須疑奈牟]
訓読うちひさす 宮へ上ると たらちしや 母が手離れ 常知らぬ 国の奥処を 百重山 越えて過ぎ行き いつしかも 都を見むと 思ひつつ 語らひ居れど おのが身し 労はしければ 玉桙の 道の隈廻に 草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち臥い伏して 思ひつつ 嘆き伏せらく 国にあらば 父とり見まし 家にあらば 母とり見まし 世間は かくのみならし 犬じもの 道に伏してや 命過ぎなむ [一云 我が世過ぎなむ]
かなうちひさす みやへのぼると たらちしや ははがてはなれ つねしらぬ くにのおくかを ももへやま こえてすぎゆき いつしかも みやこをみむと おもひつつ かたらひをれど おのがみし いたはしければ たまほこの みちのくまみに くさたをり しばとりしきて とこじもの うちこいふして おもひつつ なげきふせらく くににあらば ちちとりみまし いへにあらば ははとりみまし よのなかは かくのみならし いぬじもの みちにふしてや いのちすぎなむ [わがよすぎなむ]
英語(ローマ字)UCHIHISASU MIYAHENOBORUTO TARACHISHIYA HAHAGATEHANARE TSUNESHIRANU KUNINOOKUKAWO MOMOHEYAMA KOETESUGIYUKI ITSUSHIKAMO MIYAKOWOMIMUTO OMOHITSUTSU KATARAHIWOREDO ONOGAMISHI ITAHASHIKEREBA TAMAHOKONO MICHINOKUMAMINI KUSATAWORI SHIBATORISHIKITE TOKOJIMONO UCHIKOIFUSHITE OMOHITSUTSU NAGEKIFUSERAKU KUNINIARABA CHICHITORIMIMASHI IHENIARABA HAHATORIMIMASHI YONONAKAHA KAKUNOMINARASHI INUJIMONO MICHINIFUSHITEYA INOCHISUGINAMU [WAGAYOSUGINAMU]
光輝かしい宮のある都に上ろうと母の手を離れ、普段の生活では経験しない他国の遠い山々を越えていく。いつか都を見られると思って語りつつ進んでいった。が、次第に疲労が重なり、道の曲がり角にさしかかると、草を手折り、柴を敷き詰め、寝床のようにして横たわって嘆く。故国にいたなら父上が介抱してくださろうに、家にいたなら母上が介抱してくださろうに」と・・・。世の中というのはこんなに疲労し、辛いものなのかと思う。犬ころのように道ばたに行き倒れ、死んでゆくのか(あるいは、自分の生涯はこれで終わるのか)。
左注
校異筑前國守山上憶良敬和 [紀][細](楓) 敬和・・・筑前國守・・・ / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 某 [紀][細](塙) ム / 作歌 [西] 作謌 / 歌曰 [西] 謌曰 / 凝 疑 [類][紀][細] / 遠 [紀][細](塙) 袁 / 波 婆 [類][温][細] / 計 許 [代匠記(初稿)] / 凝 疑 [類][紀][細]
用語作者:山上憶良、大伴熊凝、追悼、哀悼、行路死人、儒教、孝養、無常