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「天平2年(730年)1月13日、太宰府師(長官)ら一同は、大伴旅人宅に集って宴会を催した。『初春を迎えて、空気は澄み風はやわらかにそよぐ佳き日である。梅花はほころび蝶も舞い始め、山には雲がかかっている。この庭に集まって一同大いに初春を満喫し、梅花を愛でて歌作を楽しもうではないか。』」
序文の原文の「初春令月 氣淑風和」は、2019年からの日本の元号「令和」が生まれた文節になる。
太宰府は京から離れた辺境地であったが、海外(中国や朝鮮)との外交、及び防衛と、それなりの実力がある役人でなければ務まらない場所だった。そのため、有力な官吏が配属され、「遠の朝廷」と呼ばれるように京の都のような街が作られていたという記録もある。梅花の宴を開いた時の大伴旅人は66歳で、太宰府に赴任して2年後のことである。大伴家はもともと天皇の身近にいた氏族であり、旅人は順調に出世を重ね、この頃には大納言の出世も期待されていた。
本歌の解説。
「正月立ち」は「正月になり」ということ。「梅を招きつつ」は「梅花を愛でつつ」という意味。
32首の巻頭を飾るのが本歌で、歌の後に「大貳紀卿(だいにのきのまへつきみ)」とある。「大貳」は太宰府次官のこと、「卿」は公卿のことで、朝廷に仕える高官・侍臣の総称。「紀」は紀男人のこと。つまり「大宰府次官 紀男人 殿」というような意味であり、大伴旅人の補佐役を務めていたと思われる。
梅花の歌32首で最初に紀男人の歌があるのは、おそらく梅花の宴席で紀男人が司会を務め、
「僭越ながら、私めの歌の後に続けて皆様もお願いします。」
というような流れだったのだろう。