大伴旅人が書いた万葉集についてまとめました。
掲載数 全 50 首
大伴旅人とは?
大伴旅人(読み:おおとものたびと)
西暦665-731年。万葉集の編纂者、大伴家持の父親であり、かなりのエリートだった。最終官位は従二位大納言。
大伴家は古くから武具の調達から兵隊の指揮などはもちろん軍隊を統括する一族だった。当時の日本は天皇をトップにした国造りが始まったと思われる大和朝廷時代から300年ほど経つものの、北の福島県以降は「みちのく(道の奥と書き、未開の地のことをさす。)」とされ、蝦夷の民と小競合いをしていた。また南の九州は統治はされていたものの、鹿児島県のような火山灰が酷い地域では作物が実らないにも関わらず、強引に税を徴収することから、隼人(熊襲一族を指示する民)のような天皇を快く思わない者も多かった。さらに、皇族たちの後継者争いも多く、小さい島国ではあったが戦争が多かった。大伴旅人の役割はそうした内紛の鎮圧や、中国や韓国からの防衛として期待されていた。性格は酒を好み、何度も宴を開く姿が歌にある。時には飲みすぎて遊女に絡みすぎて、返って困らせてしまったような歌もあるが、中でも代表的なものが、第5巻815番歌からの32首、「梅花歌三十二首并序」である。この32首の歌の序詞の一文から元号「令和」が誕生したことは有名な話である。