大伴旅人が書いた万葉集

大伴旅人が書いた万葉集についてまとめました。

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掲載数 全 50 首

歌番号本歌
第3巻299番歌奥山の菅の葉しのぎ降る雪の消なば惜しけむ雨な降りそね
第3巻315番歌み吉野の 吉野の宮は 山からし 貴くあらし 川からし さやけくあらし 天地と 長く久しく 万代に 変はらずあらむ 幸しの宮
第3巻316番歌昔見し象の小川を今見ればいよよさやけくなりにけるかも
第3巻331番歌我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ
第3巻332番歌我が命も常にあらぬか昔見し象の小川を行きて見むため
第3巻333番歌浅茅原つばらつばらにもの思へば古りにし里し思ほゆるかも
第3巻334番歌忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
第3巻335番歌我が行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にありこそ
第3巻338番歌験なきものを思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし
第3巻339番歌酒の名を聖と負ほせしいにしへの大き聖の言の宣しさ
第3巻340番歌いにしへの七の賢しき人たちも欲りせしものは酒にしあるらし
第3巻341番歌賢しみと物言ふよりは酒飲みて酔ひ泣きするしまさりたるらし
第3巻342番歌言はむすべ為むすべ知らず極まりて貴きものは酒にしあるらし
第3巻343番歌なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも酒に染みなむ
第3巻344番歌あな醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む
第3巻345番歌価なき宝といふとも一杯の濁れる酒にあにまさめやも
第3巻346番歌夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣るにあにしかめやも
第3巻347番歌世間の遊びの道に楽しきは酔ひ泣きするにあるべくあるらし
第3巻348番歌この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我れはなりなむ
第3巻349番歌生ける者遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな
第3巻350番歌黙居りて賢しらするは酒飲みて酔ひ泣きするになほしかずけり
第3巻438番歌愛しき人のまきてし敷栲の我が手枕をまく人あらめや
第3巻439番歌帰るべく時はなりけり都にて誰が手本をか我が枕かむ
第3巻440番歌都なる荒れたる家にひとり寝ば旅にまさりて苦しかるべし
第3巻446番歌我妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき
第3巻447番歌鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも
第3巻448番歌礒の上に根延ふむろの木見し人をいづらと問はば語り告げむか
第3巻449番歌妹と来し敏馬の崎を帰るさにひとりし見れば涙ぐましも
第3巻450番歌行くさにはふたり我が見しこの崎をひとり過ぐれば心悲しも [一云 見も放かず来ぬ]
第3巻451番歌人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり
第3巻452番歌妹としてふたり作りし我が山斎は木高く茂くなりにけるかも
第3巻453番歌我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽せつつ涙し流る
第4巻555番歌君がため醸みし待酒安の野にひとりや飲まむ友なしにして
第4巻574番歌ここにありて筑紫やいづち白雲のたなびく山の方にしあるらし
第4巻575番歌草香江の入江にあさる葦鶴のあなたづたづし友なしにして
第4巻577番歌我が衣人にな着せそ網引する難波壮士の手には触るとも
第5巻822番歌我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも[主人]
第6巻956番歌やすみしし我が大君の食す国は大和もここも同じとぞ思ふ
第6巻957番歌いざ子ども香椎の潟に白栲の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ
第6巻960番歌隼人の瀬戸の巌も鮎走る吉野の瀧になほしかずけり
第6巻961番歌湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く
第6巻967番歌大和道の吉備の児島を過ぎて行かば筑紫の児島思ほえむかも
第6巻968番歌ますらをと思へる我れや水茎の水城の上に涙拭はむ
第6巻969番歌しましくも行きて見てしか神なびの淵はあせにて瀬にかなるらむ
第6巻970番歌指進の栗栖の小野の萩の花散らむ時にし行きて手向けむ
第8巻1473番歌橘の花散る里の霍公鳥片恋しつつ鳴く日しぞ多き
第8巻1541番歌我が岡にさを鹿来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさを鹿
第8巻1542番歌我が岡の秋萩の花風をいたみ散るべくなりぬ見む人もがも
第8巻1639番歌沫雪のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも
第8巻1640番歌我が岡に盛りに咲ける梅の花残れる雪をまがへつるかも
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大伴旅人とは?

大伴旅人(読み:おおとものたびと)
西暦665-731年。万葉集の編纂者、大伴家持の父親であり、かなりのエリートだった。最終官位は従二位大納言。
大伴家は古くから武具の調達から兵隊の指揮などはもちろん軍隊を統括する一族だった。当時の日本は天皇をトップにした国造りが始まったと思われる大和朝廷時代から300年ほど経つものの、北の福島県以降は「みちのく(道の奥と書き、未開の地のことをさす。)」とされ、蝦夷の民と小競合いをしていた。また南の九州は統治はされていたものの、鹿児島県のような火山灰が酷い地域では作物が実らないにも関わらず、強引に税を徴収することから、隼人(熊襲一族を指示する民)のような天皇を快く思わない者も多かった。さらに、皇族たちの後継者争いも多く、小さい島国ではあったが戦争が多かった。大伴旅人の役割はそうした内紛の鎮圧や、中国や韓国からの防衛として期待されていた。性格は酒を好み、何度も宴を開く姿が歌にある。時には飲みすぎて遊女に絡みすぎて、返って困らせてしまったような歌もあるが、中でも代表的なものが、第5巻815番歌からの32首、「梅花歌三十二首并序」である。この32首の歌の序詞の一文から元号「令和」が誕生したことは有名な話である。

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