?-774 奈良時代の官吏。 藤原仲麻呂の乱で功をたて摂津大夫,左衛士督,左兵衛督などを歴任し,宝亀(ほうき)2年内蔵頭(くらのかみ)となる。この間不祥事で一時位階をうばわれ,姓も息部とされる。大伴旅人宅でよんだ歌1首が「万葉集」8巻におさめられている。宝亀5年3月4日死去。阿倍息道ともかく。