藤原鎌足が書いた万葉集

藤原鎌足が書いた万葉集についてまとめました。

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掲載数 全 2 首

歌番号本歌
第2巻94番歌玉櫛笥みむろの山のさな葛さ寝ずはつひに有りかつましじ [玉くしげ三室戸山の]
第2巻95番歌我れはもや安見児得たり皆人の得かてにすとふ安見児得たり
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藤原鎌足

藤原鎌足(読み:ふじわらの かまたり)
飛鳥時代の政治家。
614-669
中大兄皇子と大化の改新で蘇我入鹿を暗殺し、日本最大の氏族「藤原家」の繁栄を築いた。元の名を中臣鎌足(なかとみの かまたり)と言い、死の直前に天智天皇から「藤原朝臣」を授かる。
それから300年後(996年)の藤原道長につながっていく。それからさらに200年後(1185年)の鎌倉時代になると、藤原家は5つ(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)に分裂し、摂政・関白を5家で交代制で行うほど、独占状態で影の支配者となる。

それから江戸時代になると、藤原家の血筋を引く家は1oo家までに増える。現代の藤原家の血筋を引く家は「藤裔会」として、年1回秋頃に全国の藤原氏の末裔が奈良市の春日大社に集合し、親睦を兼ねた会合などが執り行われている。

家紋は下り藤の紋。

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