万葉集 第20巻 4321番歌/作者・原文・時代・歌・訳

第20巻4321番歌はこちらにまとめました。

スポンサーリンク

第20巻 4321番歌

第20巻
歌番号4321番歌
作者物部秋持
題詞天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌
原文可之古伎夜 美許等加我布理 阿須由利也 加曳<我>牟多祢<牟> 伊牟奈之尓志弖
訓読畏きや命被り明日ゆりや草がむた寝む妹なしにして
かなかしこきや みことかがふり あすゆりや かえがむたねむ いむなしにして
英語(ローマ字)KASHIKOKIYA MIKOTOKAGAFURI ASUYURIYA KAEGAMUTANEMU IMUNASHINISHITE
恐れ多くも朝命を承けて、明日からは草と共に寝ることになるのだろうか、妻もいないままの状態で。
左注右一首國造丁長下郡物部秋持 ( / 二月六日防人部領使遠江國史生坂本朝臣人上進歌數十八首 但有拙劣歌十一首不取載之)
校異我伊 我 [元][古] / 乎 牟 [元][類][古]
用語天平勝宝7年2月6日、年紀、作者:物部秋持、防人歌、恋情、静岡、坂本人上
スポンサーリンク

解説

題詞「天平勝宝7年2月に交代して諸國から筑紫に勤務することになった防人たちの歌」といった内容。「乙未(きのとひつじ)」は古代中国から伝わった「十干十二支」という60を周期にした暦の一つ。防人は「さきもり」と読み、多くは東国から徴発され 筑紫、壱岐、対馬など北九州の防備に当たった兵士。

「命(みこと)被(かがふ)り」は「朝命を承けて」ということ。「明日ゆりや」の「~ゆりや」は「~後に」という意味。「草がむた」は「草と共に」。

左注は「右一首は國造の丁、長下郡の物部秋持の歌」とある。國造(くにのみやつこ)は地方の豪族、もしくは朝廷から任命された地方官だったりする。丁はその部下で役人のこと。長下郡(ながのしものこほり)は長田下郡のことで、現在の静岡県浜松市南区にあたる。