万葉集 第5巻 890番歌/作者・原文・時代・歌・訳

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第5巻 890番歌

第5巻
歌番号890番歌
作者作者不詳
題詞(筑前國守山上憶良敬和為熊凝述其志歌六首[并序] / 大伴君熊凝者 肥後國益城郡人也 年十八歳 以天平三年六月十七日為相撲使某國司官位姓名従人 参向京都 為天不幸在路獲疾 即於安藝國佐伯郡高庭驛家身故也 臨終之時 長歎息曰 傳聞 假合之身易滅 泡沫之命難駐 所以千聖已去 百賢不留 况乎凡愚微者何能逃避 但我老親並在菴室 侍我過日 自有傷心之恨 望我違時 必致喪明之泣 哀哉我父痛哉我母 不患一身向死之途 唯悲二親在生之苦 今日長別 何世得覲 乃作歌六首而死 其歌曰)
原文出弖由伎斯 日乎可俗閇都々 家布々々等 阿袁麻多周良武 知々波々良波母 [一云 波々我迦奈斯佐]
訓読出でて行きし日を数へつつ今日今日と我を待たすらむ父母らはも [一云 母が悲しさ]
かないでてゆきし ひをかぞへつつ けふけふと あをまたすらむ ちちははらはも [ははがかなしさ]
英語(ローマ字)IDETEYUKISHI HIWOKAZOHETSUTSU KEFUKEFUTO AWOMATASURAMU CHICHIHAHARAHAMO [HAHAGAKANASHISA]
京に向かって出ていった私の帰りを指折り数えつつ今か今かと待っておられるだろう父上母上は(あるいは、母上の悲しさ)。
左注
校異
用語作者:山上憶良、大伴熊凝、追悼、哀悼、行路死人、儒教、孝養、無常