スポンサーリンク
飛鳥時代の政治家。
614-669
中大兄皇子と大化の改新で蘇我入鹿を暗殺し、日本最大の氏族「藤原家」の繁栄を築いた。元の名を中臣鎌足(なかとみの かまたり)と言い、死の直前に天智天皇から「藤原朝臣」を授かる。
それから300年後(996年)の藤原道長につながっていく。それからさらに200年後(1185年)の鎌倉時代になると、藤原家は5つ(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)に分裂し、摂政・関白を5家で交代制で行うほど、独占状態で影の支配者となる。
それから江戸時代になると、藤原家の血筋を引く家は1oo家までに増える。現代の藤原家の血筋を引く家は「藤裔会」として、年1回秋頃に全国の藤原氏の末裔が奈良市の春日大社に集合し、親睦を兼ねた会合などが執り行われている。
家紋は下り藤の紋。