東京都の万葉集・地名・場所

東京都の万葉集についてまとめました。

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掲載数 全 13 首

第3巻 3 首

歌番号本歌
431 番歌 いにしへに ありけむ人の 倭文幡の 帯解 …
432 番歌 我れも見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手児名 …
433 番歌 葛飾の真間の入江にうち靡く玉藻刈りけむ手 …

第9巻 2 首

歌番号本歌
1807 番歌 鶏が鳴く 東の国に 古へに ありけること …
1808 番歌 勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ …

第14巻 8 首

歌番号本歌
3373 番歌 多摩川にさらす手作りさらさらになにぞこの …
3374 番歌 武蔵野に占部肩焼きまさでにも告らぬ君が名 …
3375 番歌 武蔵野のをぐきが雉立ち別れ去にし宵より背 …
3376 番歌 恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の …
3377 番歌 武蔵野の草葉もろ向きかもかくも君がまにま …
3379 番歌 我が背子をあどかも言はむ武蔵野のうけらが …
3381 番歌 夏麻引く宇奈比をさして飛ぶ鳥の至らむとぞ …
3564 番歌 古須気ろの浦吹く風のあどすすか愛しけ子ろ …
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東京都の万葉集の解説

東京都は当時、武蔵国とされ、埼玉県と神奈川県の一部としてしていた。とくに東京都は沼地でひどく、寒村地であったため、しっかり整備されたのは徳川家康が来てからになる。

万葉集でも東京の都内のゆかりの歌はない。その代わり都心から離れた、武蔵野や多摩川などの歌が存在する。

歌には千葉県の万葉集にもあった「手児名」が登場する。山部赤人と高橋虫麻呂が「昔々~」と歌い、人づての噂なのか「手児名」の墓所を探している歌がある。そうすると「手児名」は山部赤人よりもっと前の人、飛鳥時代初期ごろだろうか。

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