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雄略天皇は野原で菜摘みをしている娘に声をかけ、お戯れに興じるという有名な御製歌である。
一見すると穏やかで微笑ましくも思えるが、天皇が自ら野原にいる娘に声をかけることは大変危険な行為で違和感がある。
それとは別の解を成すのが、俗に言う「古代韓国語」の「もうひとつの万葉集 李寧熙(いよんひ)」である。
【古代韓国語の解】
狛よ 瑞穂の狛たちよ 復旧よ 瑞穂の復旧の者たちよ
この丘に 私は(先代と)並び立ち
ここに家を作り 告げて住もうと思う
さろみつ やまとの国は 押さえおきて 統治者は私一人である
鎮めねかして 私は自ら位に就く
私は急ぎ来て 告げる ここに来る 出てくると
「狛」は狛族、韓国人のこと。日本の神社に「狛犬(こまいぬ)」があるのも神社も守ることではあるが、同時に天皇を守る守護者という意味である。
つまり、女性口説く歌ではなく、天皇の力を民たちに知らせるための歌であるという解なのだが、この解は不思議としっくりくる。
雄略天皇は一番古い天皇の中で現在実在していたとされる人物。この頃は西暦450~500年(5世紀)ごろであり、大和国家が日本の大部分を支配する時代だったが、地方の豪族たち中には良く思わなかった者も多くいたのだろう。つまり、この歌が「だれが日本を支配する者か?」を伝える歌であり、この先の皇族たちや貴族の歌の紐を説く扉としては納得がいくというわけである。
(奈良時代になると「日本書紀」と「古事記」が登場する。内容は創作が大半とは思われるものの、内紛がとても多い。その内容は皇位継承の争いはもちろん、地方に赴いて日本神話による神同士の戦いや悪霊との闘いにより日本ができた話であり、「退治」の対象となった者は地方の豪族たちや野党が基になった可能性が高い。)
この雄略天皇の歌は、当時から記録に乏しく出所がはっきりしていない。おそらくは識字率がとても低い当時の日本人が口伝で伝えてきたものであろう。
国の平定、皇族の永遠を願いを語り継いだとするのであれば、「古代韓国語の解」も「まあ、そうだろう。」と考えても差し支えない。
もちろん、万葉集すべてが古代韓国語ではない。また未だに読み方がはっきりしない歌も多くある。
故に「正しい」とされる解は、読み手のよって決まるものであり、どんな解をしたとしても万葉集の面白さだと言えよう。