手持女王が書いた万葉集

手持女王が書いた万葉集についてまとめました。

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掲載数 全 3 首

歌番号本歌
第3巻417番歌大君の和魂あへや豊国の鏡の山を宮と定むる
第3巻418番歌豊国の鏡の山の岩戸立て隠りにけらし待てど来まさず
第3巻419番歌岩戸破る手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく
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手持女王

手持女王(読み:たもちのおおきみ)
?-? 飛鳥時代の女性。
持統天皇3年(689)に筑紫(九州)の大宰帥(太宰府の長官)に任じられた河内王に愛された女性。後に持統天皇8年(694年)4月5日に賻物(喪主に送られる葬祭料)を賜っているので、その頃に河内王が亡くなったと思われるのが手持女王の3首である。

手持女王は、最初の417番歌で「河内王は自分の墓の場所を鏡山と決めたが、私(手持女王自身)は祖国と離れたこの地でいいのか分からない。」という歌を残している。

たしかに自分の墓をあえて祖国ではなく赴任先とするのは不自然である。

そう考えた場合、河内王は手持女王とは筑紫で知り合い、結婚まで約束したが、残念ながら現地で病死(死期を悟る時間があり、墓所を選んだ。)してしまい、愛しい人が住む地に墓所を立てたという解釈が自然だろう。