第6巻1062番歌はこちらにまとめました。
第6巻 1062番歌
巻 | 第6巻 |
歌番号 | 1062番歌 |
作者 | 田辺福麻呂 |
題詞 | 難波宮作歌一首[并短歌] |
原文 | 安見知之 吾大王乃 在通 名庭乃宮者 不知魚取 海片就而 玉拾 濱邊乎近見 朝羽振 浪之聲せ 夕薙丹 櫂合之聲所聆 暁之 寐覺尓聞者 海石之 塩干乃共 <b>渚尓波 千鳥妻呼 葭部尓波 鶴鳴動 視人乃 語丹為者 聞人之 視巻欲為 御食向 味原宮者 雖見不飽香聞 |
訓読 | やすみしし 我が大君の あり通ふ 難波の宮は 鯨魚取り 海片付きて 玉拾ふ 浜辺を清み 朝羽振る 波の音騒き 夕なぎに 楫の音聞こゆ 暁の 寝覚に聞けば 海石の 潮干の共 浦洲には 千鳥妻呼び 葦辺には 鶴が音響む 見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲りする 御食向ふ 味経の宮は 見れど飽かぬかも |
かな | やすみしし わがおほきみの ありがよふ なにはのみやは いさなとり うみかたづきて たまひりふ はまへをきよみ あさはふる なみのおとさわく ゆふなぎに かぢのおときこゆ あかときの ねざめにきけば いくりの しほひのむた うらすには ちどりつまよび あしへには たづがねとよむ みるひとの かたりにすれば きくひとの みまくほりする みけむかふ あぢふのみやは みれどあかぬかも |
英語(ローマ字) | YASUMISHISHI WAGAOHOKIMINO ARIGAYOFU NANIHANOMIYAHA ISANATORI UMIKATADUKITE TAMAHIRIFU HAMAHEWOKIYOMI ASAHAFURU NAMINOOTOSAWAKU YUFUNAGINI KADINOOTOKIKOYU AKATOKINO NEZAMENIKIKEBA IKURINO SHIHOHINOMUTA URASUNIHA CHIDORITSUMAYOBI ASHIHENIHA TADUGANETOYOMU MIRUHITONO KATARINISUREBA KIKUHITONO MIMAKUHORISURU MIKEMUKAFU ADIFUNOMIYAHA MIREDOAKANUKAMO |
訳 | 我れらが大君(四十五代聖武天皇)が通われる難波の宮は海が入り江になっていて近く、浜辺の石や貝殻を拾うのによい。その浜辺は清らかで、朝は鳥が羽を振るように波立ち、夕なぎ時は舟を操る梶の音が聞こえる。暁どきになると、潮がひいて浜の美しい石が姿を見せる。そして現れる州には千鳥が妻を呼ぶ声がし、葦辺には鶴の鳴き声があたりを響かせる。この光景を見た人は人に語り、それを聞いた人は自分も見て見たいと思い、味の国なる地に建つ味経(あぢふ)の宮に向かう。ほんに難波の宮は見ても見ても見飽きないところよ。 |
左注 | (右廿一首田邊福麻呂之歌集中出也) |
校異 | 歌 [西] 謌 [西(別筆訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短哥 [西(訂正)] 短歌 / 納 b[万葉集略解] |
用語 | 雑歌、作者:田辺福麻呂歌集、難波、大阪、新都讃美、地名 |
解説
題詞は「難波宮にあって作った歌と短歌」という意味。
「あり通ふ」は「往来する」という意味。「鯨魚(いさな)取り」は枕詞。「朝羽振る」は「鳥が羽を振るように波立つ」という形容。「海片付きて」は「海が片方に寄っている」すなわち「海が近い」という意味。「味経(あぢふ)の宮」は「難波の宮」のことで、大阪市天王寺区味原町付近となる。