万葉集 第2巻 196番歌/作者・原文・時代・歌・訳

第2巻196番歌はこちらにまとめました。

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第2巻 196番歌

第2巻
歌番号196番歌
作者柿本人麻呂
題詞明日香皇女木P殯宮之時柿本<朝臣>人麻呂作歌一首[并短歌]
原文飛鳥 明日香乃河之 上瀬 石橋渡 [一云 石浪] 下瀬 打橋渡 石橋 [一云 石浪] 生靡留 玉藻毛叙 絶者生流 打橋 生乎為礼流 川藻毛叙 干者波由流 何然毛 吾<王><能> 立者 玉藻之<母>許呂 臥者 川藻之如久 靡相之 宣君之 朝宮乎 忘賜哉 夕宮乎 背賜哉 宇都曽臣跡 念之時 春都者 花折挿頭 秋立者 黄葉挿頭 敷妙之 袖携 鏡成 雖見不Q 三五月之 益目頬染 所念之 君与時々 幸而 遊賜之 御食向 木P之宮乎 常宮跡 定賜 味澤相 目辞毛絶奴 然有鴨 [一云 所己乎之毛] 綾尓憐 宿兄鳥之 片戀嬬 [一云 為乍] 朝鳥 [一云 朝霧] 徃来為君之 夏草乃 念之萎而 夕星之 彼徃此去 大船 猶預不定見者 遣<悶>流 情毛不在 其故 為便知之也 音耳母 名耳毛不絶 天地之 弥遠長久 思将徃 御名尓懸世流 明日香河 及万代 早布屋師 吾王乃 形見何此焉
訓読飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 石橋渡し [一云 石なみ] 下つ瀬に 打橋渡す 石橋に [一云 石なみに] 生ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥やせば 川藻のごとく 靡かひし 宜しき君が 朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折りかざし 秋立てば 黄葉かざし 敷栲の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月の いやめづらしみ 思ほしし 君と時々 出でまして 遊びたまひし 御食向ふ 城上の宮を 常宮と 定めたまひて あぢさはふ 目言も絶えぬ しかれかも [一云 そこをしも] あやに悲しみ ぬえ鳥の 片恋づま [一云 しつつ] 朝鳥の [一云 朝霧の] 通はす君が 夏草の 思ひ萎えて 夕星の か行きかく行き 大船の たゆたふ見れば 慰もる 心もあらず そこ故に 為むすべ知れや 音のみも 名のみも絶えず 天地の いや遠長く 偲ひ行かむ 御名に懸かせる 明日香川 万代までに はしきやし 我が大君の 形見かここを
かなとぶとり あすかのかはの かみつせに いしはしわたし [いしなみ] しもつせに うちはしわたす いしはしに [いしなみに] おひなびける たまももぞ たゆればおふる うちはしに おひををれる かはももぞ かるればはゆる なにしかも わがおほきみの たたせば たまものもころ こやせば かはものごとく なびかひし よろしききみが あさみやを わすれたまふや ゆふみやを そむきたまふや うつそみと おもひしときに はるへは はなをりかざし あきたてば もみちばかざし しきたへの そでたづさはり かがみなす みれどもあかず もちづきの いやめづらしみ おもほしし きみとときとき いでまして あそびたまひし みけむかふ きのへのみやを とこみやと さだめたまひて あぢさはふ めこともたえぬ しかれかも [そこをしも] あやにかなしみ ぬえどりの かたこひづま [しつつ] あさとりの [あさぎりの] かよはすきみが なつくさの おもひしなえて ゆふつづの かゆきかくゆき おほぶねの たゆたふみれば なぐさもる こころもあらず そこゆゑに せむすべしれや おとのみも なのみもたえず あめつちの いやとほながく しのひゆかむ みなにかかせる あすかがは よろづよまでに はしきやし わがおほきみの かたみかここを
英語(ローマ字)TOBUTORI ASUKANOKAHANO KAMITSUSENI ISHIHASHIWATASHI [ISHINAMI] SHIMOTSUSENI UCHIHASHIWATASU ISHIHASHINI [ISHINAMINI] OHINABIKERU TAMAMOMOZO TAYUREBAOFURU UCHIHASHINI OHIWOWORERU KAHAMOMOZO KARUREBAHAYURU NANISHIKAMO WAGAOHOKIMINO TATASEBA TAMAMONOMOKORO KOYASEBA KAHAMONOGOTOKU NABIKAHISHI YOROSHIKIKIMIGA ASAMIYAWO WASURETAMAFUYA YUFUMIYAWO SOMUKITAMAFUYA UTSUSOMITO OMOHISHITOKINI HARUHEHA HANAWORIKAZASHI AKITATEBA MOMICHIBAKAZASHI SHIKITAHENO SODETADUSAHARI KAGAMINASU MIREDOMOAKAZU MOCHIDUKINO IYAMEDURASHIMI OMOHOSHISHI KIMITOTOKITOKI IDEMASHITE ASOBITAMAHISHI MIKEMUKAFU KINOHENOMIYAWO TOKOMIYATO SADAMETAMAHITE ADISAHAFU MEKOTOMOTAENU SHIKAREKAMO [SOKOWOSHIMO] AYANIKANASHIMI NUEDORINO KATAKOHIDUMA [SHITSUTSU] ASATORINO [ASAGIRINO] KAYOHASUKIMIGA NATSUKUSANO OMOHISHINAETE YUFUTSUDUNO KAYUKIKAKUYUKI OHOBUNENO TAYUTAFUMIREBA NAGUSAMORU KOKOROMOARAZU SOKOYUゑNI SEMUSUBESHIREYA OTONOMIMO NANOMIMOTAEZU AMETSUCHINO IYATOHONAGAKU SHINOHIYUKAMU MINANIKAKASERU ASUKAGAHA YORODUYOMADENI HASHIKIYASHI WAGAOHOKIMINO KATAMIKAKOKOWO
明日香川、川上の瀬に石橋(あるいは「並べた石」)を渡し、川下の瀬には打ち橋を渡す。その石橋(あるいは「並べた石」)に生い茂ってなびく玉藻、切れてもすぐ生える。打ち橋に繁ってたわむ川藻も、枯れてもまた生えてくる。それなのに、わが大君(明日香皇女)はお立ちになっている時は玉藻のように皇子様になびき、おやすみになられる時は川藻のように幾度も皇子様によりかかる、そんな申し分のない皇子様のを朝宮はお忘れだろうか。夕宮にはそっぽを向いてしまわれるのだろうか。 皇女様がこの世におられた時、春は花を手折って髪にかざし、秋がくると黄葉をかざし、そっと袖の手を取り合い、いくら見ても見飽きることがないほど見つめ合い、いっそう愛しくお思いになった皇子様。その皇子様と折々に連れ立って出かけられ、遊ばれた、城上(きのへ)の宮を、永久の御殿とお定めになって、見つめ合うことも言葉を交わされることもなくなってしまわれた。そのためなのか(あるいは「そのことで」)皇子様はひどく悲しまれ、皇女様に片恋し(あるいは「片恋しつつ」)朝鳥(あるいは「朝霧」)のように城上(きのへ)の宮にお通いになる。 夏草のようにしおれ、夕星のように行ったり来たりなさり、大船のように落ち着かない、そんな皇子様を見るにつけ、私どもも慰めようがなく、それ故、為す術も知らない。せめてこんな悲しみがあり、お名前だけでも絶やさないようにしよう。天地ともども永遠にお慕い申し上げよう。明日香皇女という御名にかかわる明日香川を、いついつまでも愛しい我らが大君(皇女様)の形見と思ってここ明日香川を。
左注
校異生 王 [金][紀] / 乃 能 [金][紀] / 如 母 [金] / 預 [西(左筆)] 豫 / 問 悶 [西(訂正)][金][類][温]
用語挽歌、作者:柿本人麻呂、明日香皇女、殯宮、飛鳥、地名、枕詞
第2巻
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