橘奈良麻呂が書いた万葉集についてまとめました。
掲載数 全 3 首
歌番号 | 本歌 |
第6巻1010番歌 | 奥山の真木の葉しのぎ降る雪の降りは増すとも地に落ちめやも |
第8巻1581番歌 | 手折らずて散りなば惜しと我が思ひし秋の黄葉をかざしつるかも |
第8巻1582番歌 | めづらしき人に見せむと黄葉を手折りぞ我が来し雨の降らくに |
橘奈良麻呂とは?
橘奈良麻呂(読み:たちばな ならまろ)
721-751年。橘諸兄の子。政治家。父の橘諸兄は天皇直径の血筋ではなかったものの、左大臣(今でいう内閣総理大臣のようなポジション)まで上り詰めた人物。息子の奈良麻呂もそれに習い、順調な出世を重ねていた。だがある時、父に対立して政権を我が物にしようと企む藤原仲麻呂によって、父は左大臣の任を解かれ、その一年後には没してしまう。無念の死を遂げた父を見た奈良麻呂は、藤原仲麻呂を政治の世界から追い出す策略を練っていた。ところが、その話は漏れてしまい、疑いのある者たちは拷問、奈良麻呂も記録がないものの、おそらくは杖で何度も殴られ、大男が力任せで
何箇所もの骨を折るような拷問を強いられ、最後は獄中で死んだと言われている。