万葉集 第15巻 3627番歌/作者・原文・時代・歌・訳

第15巻3627番歌はこちらにまとめました。

スポンサーリンク

第15巻 3627番歌

第15巻
歌番号3627番歌
作者作者不詳
題詞属物發思歌一首[并短歌]
原文安佐散礼婆 伊毛我手尓麻久 可我美奈須 美津能波麻備尓 於保夫祢尓 真可治之自奴伎 可良久尓々 和多理由加武等 多太牟可布 美奴面乎左指天 之保麻知弖 美乎妣伎由氣婆 於伎敝尓波 之良奈美多可美 宇良<未>欲理 許藝弖和多礼婆 和伎毛故尓 安波治乃之麻波 由布左礼婆 久毛為可久里奴 左欲布氣弖 由久敝乎之良尓 安我己許呂 安可志能宇良尓 布祢等米弖 宇伎祢乎詞都追 和多都美能 於<枳>敝乎見礼婆 伊射理須流 安麻能乎等女波 小船乗 都良々尓宇家里 安香等吉能 之保美知久礼婆 安之辨尓波 多豆奈伎和多流 安左奈藝尓 布奈弖乎世牟等 船人毛 鹿子毛許恵欲妣 柔保等里能 奈豆左比由氣婆 伊敝之麻婆 久毛為尓美延奴 安我毛敝流 許己呂奈具也等 波夜久伎弖 美牟等於毛比弖 於保夫祢乎 許藝和我由氣婆 於伎都奈美 多可久多知伎奴 与曽能<未>尓 見都追須疑由伎 多麻能宇良尓 布祢乎等杼米弖 波麻備欲里 宇良伊蘇乎見都追 奈久古奈須 祢能未之奈可由 和多都美能 多麻伎能多麻乎 伊敝都刀尓 伊毛尓也良牟等 比里比登里 素弖尓波伊礼弖 可敝之也流 都可比奈家礼婆 毛弖礼杼毛 之留思乎奈美等 麻多於伎都流可毛
訓読朝されば 妹が手にまく 鏡なす 御津の浜びに 大船に 真楫しじ貫き 韓国に 渡り行かむと 直向ふ 敏馬をさして 潮待ちて 水脈引き行けば 沖辺には 白波高み 浦廻より 漕ぎて渡れば 我妹子に 淡路の島は 夕されば 雲居隠りぬ さ夜更けて ゆくへを知らに 我が心 明石の浦に 船泊めて 浮寝をしつつ わたつみの 沖辺を見れば 漁りする 海人の娘子は 小舟乗り つららに浮けり 暁の 潮満ち来れば 葦辺には 鶴鳴き渡る 朝なぎに 船出をせむと 船人も 水手も声呼び にほ鳥の なづさひ行けば 家島は 雲居に見えぬ 我が思へる 心なぐやと 早く来て 見むと思ひて 大船を 漕ぎ我が行けば 沖つ波 高く立ち来ぬ 外のみに 見つつ過ぎ行き 玉の浦に 船を留めて 浜びより 浦礒を見つつ 泣く子なす 音のみし泣かゆ わたつみの 手巻の玉を 家づとに 妹に遣らむと 拾ひ取り 袖には入れて 帰し遣る 使なければ 持てれども 験をなみと また置きつるかも
かなあさされば いもがてにまく かがみなす みつのはまびに おほぶねに まかぢしじぬき からくにに わたりゆかむと ただむかふ みぬめをさして しほまちて みをひきゆけば おきへには しらなみたかみ うらみより こぎてわたれば わぎもこに あはぢのしまは ゆふされば くもゐかくりぬ さよふけて ゆくへをしらに あがこころ あかしのうらに ふねとめて うきねをしつつ わたつみの おきへをみれば いざりする あまのをとめは をぶねのり つららにうけり あかときの しほみちくれば あしべには たづなきわたる あさなぎに ふなでをせむと ふなびとも かこもこゑよび にほどりの なづさひゆけば いへしまは くもゐにみえぬ あがもへる こころなぐやと はやくきて みむとおもひて おほぶねを こぎわがゆけば おきつなみ たかくたちきぬ よそのみに みつつすぎゆき たまのうらに ふねをとどめて はまびより うらいそをみつつ なくこなす ねのみしなかゆ わたつみの たまきのたまを いへづとに いもにやらむと ひりひとり そでにはいれて かへしやる つかひなければ もてれども しるしをなみと またおきつるかも
英語(ローマ字)ASASAREBA IMOGATENIMAKU KAGAMINASU MITSUNOHAMABINI OHOBUNENI MAKADISHIJINUKI KARAKUNINI WATARIYUKAMUTO TADAMUKAFU MINUMEWOSASHITE SHIHOMACHITE MIWOHIKIYUKEBA OKIHENIHA SHIRANAMITAKAMI URAMIYORI KOGITEWATAREBA WAGIMOKONI AHADINOSHIMAHA YUFUSAREBA KUMOゐKAKURINU SAYOFUKETE YUKUHEWOSHIRANI AGAKOKORO AKASHINOURANI FUNETOMETE UKINEWOSHITSUTSU WATATSUMINO OKIHEWOMIREBA IZARISURU AMANOWOTOMEHA WOBUNENORI TSURARANIUKERI AKATOKINO SHIHOMICHIKUREBA ASHIBENIHA TADUNAKIWATARU ASANAGINI FUNADEWOSEMUTO FUNABITOMO KAKOMOKOゑYOBI NIHODORINO NADUSAHIYUKEBA IHESHIMAHA KUMOゐNIMIENU AGAMOHERU KOKORONAGUYATO HAYAKUKITE MIMUTOOMOHITE OHOBUNEWO KOGIWAGAYUKEBA OKITSUNAMI TAKAKUTACHIKINU YOSONOMINI MITSUTSUSUGIYUKI TAMANOURANI FUNEWOTODOMETE HAMABIYORI URAISOWOMITSUTSU NAKUKONASU NENOMISHINAKAYU WATATSUMINO TAMAKINOTAMAWO IHEDUTONI IMONIYARAMUTO HIRIHITORI SODENIHAIRETE KAHESHIYARU TSUKAHINAKEREBA MOTEREDOMO SHIRUSHIWONAMITO MATAOKITSURUKAMO
朝になると、彼女が手に持つ鏡のように、見る、すなわち御津の浜べで大船に 楫を取り付け、新羅に渡っていこうと、真向かいの敏馬(みぬめ)に行こうと潮目を待つ。潮がないで航路を進んでいくと、沖の辺りは白波が高い。なので浦辺沿いに漕いで進む。彼女に逢えるという淡路の島は夕方になってしまって雲に隠れてしまった。夜も更けてきて行く先も分からなくなったので、我が心が明るい内にと明石の浜に船を停泊させた。船上に浮き寝をしながら沖の方を見ると、漁をする漁民の娘子(おとめ)たちが小舟に乗って列なって浮かんでいた。暁方に潮が満ちて来ると、葦辺には鶴が鳴き渡っていた。朝なぎの内に船出をしようと船上の人も水手(かこ・・・漕ぎ手)も声を掛け合った。 カイツブリのように波間を漂い行くと、なつかしげな名の家島が雲の下に見えてきた。ふるさとの家にちなむ島なら心もなごむかと、早く行ってみたいと われらは大船を漕ぎ進めた。が、あいにく沖から高波がやってきて、遠くから見るしかなかった。玉の浦に船を留めてその浜辺から家島の浦や磯を見ていると泣く子供のようにおいおい泣けてくる。海神が巻いておられるという腕飾りの玉を家のみやげに彼女に届けようと玉の浦で拾って袖に入れてみた。が、届けやる使いもないので、手にとってはみたものの甲斐がないとまた置いてきてしまった 。
左注
校異歌 [西] 謌 / 末 未 [万葉集古義] / 枳 [西(上書訂正)][紀][細][温] / 末 未 [西(訂正)][細][紀][温]
用語遣新羅使、天平8年、年紀、地名、道行き、羈旅、大阪、兵庫、岡山、広島、倉橋島、序詞、枕詞、望郷、孤独
タイトルとURLをコピーしました