万葉集 第1巻 39番歌/作者・原文・時代・歌・訳

第1巻39番歌はこちらにまとめました。

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第1巻 39番歌

第1巻
歌番号39番歌
作者柿本人麻呂
題詞(幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌)反歌
原文山川毛 因而奉流 神長柄 多藝津河内尓 船出為加母
訓読山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟出せすかも
かなやまかはも よりてつかふる かむながら たぎつかふちに ふなでせすかも
英語(ローマ字)YAMAKAHAMO YORITETSUKAFURU KAMUNAGARA TAGITSUKAFUCHINI FUNADESESUKAMO
山も川も大君をよりどころにして仕える神であるから、大君は激流渦巻く川の中へ舟出をされる。
左注右日本紀曰 三年己丑正月天皇幸吉野宮 八月幸吉野宮 四年庚寅二月幸吉野宮 五月幸吉野宮 五年辛卯正月幸吉野宮 四月幸吉野宮者 未詳知何月従駕作歌
校異
用語雑歌、作者:柿本人麻呂、吉野、離宮、行幸、従駕、宮廷讃美、国見、地名
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解説

題詞は36番歌から。

「山川も依りて」は「山も川も大君をよりどころにして」という意味。

「激流渦巻く川へ」とは文字通りならすさまじい光景という意味だが、実際はゆったりと舟遊びに興じられた図であろう。人麻呂らしい荘重な表現である。

左注は「右は日本紀曰く、『三年己丑(689年)の正月に天皇は吉野宮に、八月は吉野宮に、四年庚寅(690年)は二月に吉野宮に、五月に吉野宮に、五年辛卯(691年)、正月は吉野宮に、四月は吉野宮に、それぞれ幸(いで)まされる』とあるが、このうちのどの行幸に従駕して作歌したのか不明。」という意味。

四十一代持統天皇の吉野宮への行幸は31回にも及んだ。

天武天皇が亡くなって、持統天皇が即位することになったが、どういうわけか次の文武天皇が即位するまでは新しい元号は定められなかった。持統天皇が吉野宮へ何度も足を運ぶ行幸を行ったのも「次期天皇のための橋渡し役」として徹していたからなのだろうか。

第1巻
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