万葉集 第18巻 4032番歌/作者・原文・時代・歌・訳

第18巻4032番歌はこちらにまとめました。

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第18巻 4032番歌

第18巻
歌番号4032番歌
作者田辺福麻呂
題詞天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田<邊>福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒
原文奈呉乃宇美尓 布祢之麻志可勢 於伎尓伊泥弖 奈美多知久夜等 見底可敝利許牟
訓読奈呉の海に舟しまし貸せ沖に出でて波立ち来やと見て帰り来む
かななごのうみに ふねしましかせ おきにいでて なみたちくやと みてかへりこむ
英語(ローマ字)NAGONOUMINI FUNESHIMASHIKASE OKINIIDETE NAMITACHIKUYATO MITEKAHERIKOMU
舟をしばし貸して下され。奈呉(なご)の海の沖に出て行って、波が立ち寄せて来るかどうか見て帰って来ますから。 
左注(右四首田邊史福麻呂)
校異邊史 邊 [元][類][細]
用語天平20年3月23日、作者:田辺福麻呂、地名、高岡、富山、宴席、挨拶、大伴家持、年紀
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解説

題詞は「天平20年春3月23日、左大臣橘家の使者、造酒司令史(みきのつかさのさかん)田邊史福麻呂(たなべのふびとさきまろ)を守大伴宿祢家持の邸宅に招いて接待。ここに新歌並びに古詠歌を示し、各々思いを述べる。」とある。天平20年は748年。左大臣橘は橘諸兄のこと。造酒司とは、宮内庁直下の酒造会社(及び役所)のこと。主な業務は酒や醴・酢などの醸造、管理を行う。四等官は上から正(かみ)、佑(じょう)、令史(さかん)となり、2番目である次官(すけ)は置かれなかったという。つまり造酒司は中央の官職の仕事ということになる。万葉集では、田辺福麻呂の歌だけ造酒司がある。

「奈呉の海」は富山県射水市の海。現在射水市新湊庁舎があり、その前の海岸。「しまし」は「しばし」と読む。

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