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題詞に「高市岡本宮(たけちのをかもとのみや)御宇天皇代(あめのしたしらしめししすめらみことのみよ) [息長足日廣額天皇(おきながたらしひろぬかのすめらみこと)] /天皇登香具山望國之時御製歌(天皇が香具山に登り望國(くにみ)された時の御製歌(おほみうた))」とある。
高市岡本宮とは、現在の奈良県高市郡明日香村岡にあったとされる別名「飛鳥岡本宮」であり、西暦629~641年のころに在位した天皇を指し、舒明天皇となる。
「息長足日廣額天皇」とは、和風諡号(国風諡号)といい、死後に賜る名、今で言うところの戒名のようなもの。
望國(くにみ)とは、その土地を治める天皇が春先に小高い山に登って、国土を讃美する儀礼のこと。これと同様の歌が第1巻の28番歌や53番歌にある歌になる。そうなると、前の1番歌も国見の歌なのかと思われるが、これが「花摘みをしている娘に声をかけたという歌」として解されているために同じものと扱われていないのだろう。
歌に「海原波 加萬目立多都(海原は 鴎立ち立つ)」とあるが、香具山は内陸なので海は見えず、カモメもいない。では、「海原波」や「加萬目」はどうするのか?というと、大きな池を海に見立てたとか、内陸まで飛んできたカモメだとか、いろんな解があったが、現在では香具山の風景を見て言ったのではなく、大和の国全体を見て発した言葉としている。