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柿本人麻呂(読み:かきのもとひとまろ)
660-724 飛鳥時代の歌人。山部赤人と並び、歌聖と称えられている。
もっとも有名な歌人。最後に万葉集を編纂したとされる大伴家持の次に詠んだ歌が多い。
その数91首は本人が詠んだものとされている。それとは別に「柿本人麻呂歌集」というものがある。成立が不明でよくわかっていないが、歌集の中には本人作のものも含まれている。
柿本一族は、孝昭天皇後裔に当たる春日家の分家になるという。人麻呂は有名な歌人であり、特に天皇崇拝の歌が多い。その理由は、当時天皇の後継者問題による内乱(壬申の乱)が多発しており、不安定な時代だったことがあげられる。
人麻呂の歌に年代がしっかり書かれたのも持統天皇が即位してからであり、天皇を神格化することで、統治された平和を唱えていたと思われる。
後に、持統天皇と親密であったためか、じつは恋人だったからとかの言われもあるが、根拠はない。
また人麻呂の出生に関する記述が多くあるものの、確実性が薄いものが多く、未だよくわかっていない。